人気ブログランキング | 話題のタグを見る

魂のテーマなどと書くと壮大に思える。
まあ実際そうであるし、そうでもないのかも。

というのも。
ここ2年ほどタロットカードとオラクルカードのYouTube動画にハマって様々なカードリーダーの動画を見続けている。
結果、これまでの占いや心理学やカウンセリングやセラピーなどなど、あらゆる魂のテーマを知る手段が自分にとってたいして意味をなしていなかったと感じた。

結局のところ、自分のことは自分が知っている。
そこを引き出すには、自分のココロの声に素直に従って生きればそれでいいだけだった。

いい感じがする方を選び続ける。
思考したり話す言葉を心地よいものを使うよう自分に気づき続ける。
なりたい自分があるのなら、その状態を感じつくしてどういう感情がカラダにこみあげてくるかイメージしたり体感する。

そういう日々を実験しながら過ごして、確信するほうを選んでいく。
すると、これが私の使命かも?などと感じることがぼんやり見えてきて、次にはそれを意図して生きると宣言する。

そうして思いつくままに、もはや思わずカラダが動いてしたくなることをやっていく。
すると信じられないけれども、その意図したことが自分だけでない周りに波及した喜びになっている。

それは、その意図した生き方、正解ですよ!流れに乗れてますよ!というサイン。
そういうことが分かってきた。

実にシンプルで面白く楽しい。
どんなことが起こったとしてもすべてをありのままに受け取り流していくことができる。
全てが最高最善と素直に受け入れられる。
本当に不思議だ。
どんなときも、自分が心地よいと感じる捉え方でいること。
ただそれだけだ。
自分への絶対信頼。
それはただただ穏やかで幸せな時間を過ごせる。
悲しいことも、怒りも、そうあることを受け入れ、癒す言葉を自分にかけることができる。
すべては完璧で、どんな状況も私にとって最善なのだと抗わない。
諦めるのではなく、ただそうなんだという感覚を受け入れる。
それが自分なのだ。
その一瞬一瞬の自分の在り方。


私の場合、人、場所、生き物などに出会い続け、そこに今お互いにあることを感謝すること、私が感じる感謝を伝えることで、お互いの愛が融合し、浄化や癒しが起こるようだ。
大きくいえば地球への愛情表現?!(笑)

意図して始めたこのこと。
本当に素敵なパワーを発揮しているように感じている。

私は無条件の愛を実現し続けたい。
愛で優しさや浄化や癒しを届けたい。
そのことでさらに自分の生を活かしたい。

その生き方が使命というか、私の魂のテーマを意図して生きること。
さて、あなたはどうだろうか?


# by shikoponkkr | 2023-06-03 22:13 | 生き方

母の死から三か月過ぎた。
春から夏になり、突然義父が倒れた。
救急搬送された搬送先の病院は母が亡くなった病院と同じだった。

またか。

母が亡くなっていった様子がありありと蘇り、なんとも言えない複雑な心境になった。
義父は、意識不明で今にも死にそうだった。

救命救急センターで待つあの何とも言いようのない時間。

数時間の間に何度も医師に病状説明を受け、今にも死にそうだった義父は、悪いながらも小康状態に入り始めたようだった。
このコロナ禍、いろいろと大変だ。
病院に到着してから4時間後、ようやく解放された。

義父の次男である夫。
他県に住む兄と二人兄弟。
連絡すると、義姉とともに来るという。
飛行機の最終便に運よく間に合った義兄夫婦とその日の夜遅く再会した。

義父の状態は、本人の生命力次第。
県外から来た義兄夫婦はPCR検査が陰性の場合面会してもよいと主治医に聞いたので、そのことを伝え、県内で当日検査できる場所を探してネット予約。
翌日、検査を受け陰性証明をもらい、義父の入院する病院へ。
前日お願いしていたので、スムーズに受付でき、ICUの病室で面会が叶った。
義兄夫婦だけかとおもいきや、私たち夫婦も2人ずつ交代で短時間の面会ができた。

義父、意識はないということだったが、前日に比べれば、明らかに死の気配は遠のいているように見えた。
昨日はピクリとも動かなかった手足が、動いていた。

とはいえ、予断を許さない状況ではあるらしい。
兄弟は意外と落ち着いていて、すぐに現実の心配をし始めた。
しばらく必要な金銭面のこと。
特に私の出番はなく、ほっとする。

義父は、自分が死ぬなんてことは思ってもおらず、兄弟は、必要書類がどこにどれだけあるのかなど、ほぼ知らない状況だった。
とはいえ、「延命治療はしない」ということは、皆が聞いていおり、それぞれ同意しているので、もしもの時に迷わずこたえられることに、私は安堵した。緊急連絡先の2番目が私なのだ。このことは母の死を経験した私にとってかなりのプレッシャーになっていた。意見が一致していることが、どれだけ勇気になるか計り知れない。

そうして、もしもの電話が翌日私に来た。
夫が仕事で電話に出れなかったらしい。
これほど心臓に悪いことがあるだろうか?

それで結局義父は持ち直し、現在さらに状態は安定し、一般病棟に移った。
そのため、ここ二日ほど必要なものを購入したり、義父の部屋に探しに行ったりして、病院に荷物を届けるを繰り返している。

さらに、一般病棟に移ったことから、ソーシャルワーカーと電話連絡。
結局、こういうことはすべて私にお鉢が回ってくるようになっているらしい。

母が亡くなった病院に今度は義父のために通うことになるらしい。
複雑だ。
この数か月の間に、こんなに鍛えられるなんて。

母の初盆が無事済んだら、一人旅に出ようと思っていた。
が。
それどころではない。
さすがに。

私はいったいいつになったら、介護生活から解放されるのだろうか?
人生の半分以上が介護生活。
私の人生の課題は親の介護なのだろうか?
それならそれで、全うするしかない。
辛いことも多いが、それ以上に学ぶことが多い。
今を精一杯生きることができるのは、打ち込まざるを得ない日常があるから。

だから何気ない日常がどんなに有難く光り輝くものであるか、私は実感できるようになった。
今日も一日を大切に生きよう。
私らしく、あなたらしく、ありますように。
母の死から三か月、義父が倒れた_d0357572_22023030.jpg

# by shikoponkkr | 2022-08-25 22:09 | 思うこと

これから新しい自分をはじめるには?_d0357572_17512909.jpg
これから新しい自分をはじめたい。
いろいろあって、新しくはじめるために、振り返る。
何度でも思ったときに振り返ることから新しい自分がはじまる。



本当の私ってなんだろう?

内緒の裏ブログが表ブログだったとわかったとして、だから毎日書き続けられるのか?
というとそうではなかった。

それで、様々に自分を見つめていた。

具体的には、ノートに書き出す。

これまで、つまり字を書くようになってから、ノートに様々に書き続けてきた。
書くことが好きなんだ。
きっとわたしは。

文字や絵を描くことが好き。

書くことで安心するのかもしれない。
書くとモノとして残るから。
存在が見えてくる。
私はここに存在しているんだ!

今ここに生きている自分を自覚したい欲求だろうか?

淡々と生きることができない。
何かが自分の奥底からわきあがる気配があり、
それをあらわしたくて仕方ない。

そんなことを思いながら、
だから何をすればいいんだろう?

いったい私は私がどうすれば満足するのだろう?

そんなことばかり考えている。
考えながら、カードゲームに現を抜かす。
笑える。

私はありのままの自分を認めてこなかった。
こうあらねば
もっとできるはず
そう思い続けて信じ続けたかった。

でも実際は平々凡々。
むしろ劣等感にさいなまれる。


ねえ、いいんじゃない?
もうこれくらいで。

このままでも波乱万丈な人生だったじゃない。
存分に楽しんできたんじゃないの?本当は?

だって私が私をずっとちゃんと見続けてきたんだよ?
全部知っている。
行動してきたことを。
思考してきたことを。
感じてきたことを。

今が嫌だというなら
今が十分ではないというなら
もっと違う自分になりたいなら

今から何かひとつでも変えていかないと!
何も変わらないよ!

「変わりたいなら思考も行動も変える新しくする」

現実を変えるにはそれしかない。

何を変える?
まずは、ありのままを認めることから。
自分を否定することをやめることから。
できない自分もダメな自分も全部自分と認めて、そこをこそ愛することから。
どんな自分も自分で慈しみ愛することがこれからすべての自分の始まり。


# by shikoponkkr | 2022-08-19 17:51 | 思うこと

内緒の裏ブログ

内緒の裏ブログを書くようになったのは、リアルブログが苦しくなったから

ええ、つまりこれは裏ブログと言われるものです
私にとって、こちらがリアルに表ブログ
書きたいことを書けるのはこちら。

なぜ、こんなことになってしまった?

振り返ってみると、ブログ講座を受けたこと
お仕事になるかもしれない肩書をもったブログを書き始める流れに乗ってしまったから

そういう雰囲気だったから、
「なんだかそうなのかな?」
と思っちゃった

それは、私の子どもの頃からの思考癖
「周りの雰囲気に乗っかってしまう」
そうあることが正しいというか、
そうあることで周りから私の存在を認められると信じていたから

「親に認められたい」
その思いにうっすら気づきながら、
その時逃げることなく取り組んでいた目の前のこと
それのアドバイザーという肩書のブログを書き始めてしまったこと

世のため、人のためになることだから
それを自分のブログに書き続ける
そのブログ講座に誘ってくれた知り合いへのメンツや
そのブログ講座の素敵な講師の生き方に魅せられて
そうしようと自分が決めてやり始めた

ところが
本当の私は、別に仕事が欲しかったわけでもなく、
私という存在を認めて愛してほしかった

だから
なんだかアドバイザーを装ってしまう感覚やなんかが、
見えない意識の奥底でもう苦しくて苦しくて
ブログを書きたくなくなった

そうしてそんな自分を、
あーあ、また私の困ったちゃんが出てきちゃったよね
なんて、邪険にして

真面目で努力することが自分の価値だと思いたかった私
それでも数年は頑張った

でもついに、
「もう無理」
となった


いつも本音と裏腹な自分が嫌いで許せなくて責めてて
カッコつけたがる私を軽蔑していた

どうせわたしなんて

生きているのがまたくるしくなっていった

辛い
悲しい
切ない
苦しい
もう無理


それを忘れたくて違うことに逃げたり
でもやっぱり違う

それの繰り返し
もう嫌だ


そう思っていたら、そういう現実を突きつけられる
「なんで私ばっかり、、、」

もう二度と嫌だ
変わりたい!
還るんだ!本当の私に!!!

そしてこのブログを書いてみた
何度も時をあけて
チャレンジしてみた

私はただ今感じること思うことを書きたかっただけ
私の物語を現実でも空想でも
ただ書きたかっただけ

誰に読まれなくても
ただ外に出したかっただけ


私は私の周りの人が大好きで
大好きな人をひたすら応援したくて
愛を伝えたくて
愛を受け取りたかった

自分に向けられる愛を受け取れなかった私を
受け取れる私にしたい

ただ大好きな人を愛して応援して
私にできることを自分で見つけて
もちろんリクエストがあればとことん答える
そんな自分を生きたい

そんな単純なことで生きたい

難しいことを言われても
求められても

真面目な私だから、
たぶんできないことはないけれど、
でもそうじゃなくて

ただ好き
ただ愛を伝えたくて
安心を届けたくて
大切だよと言いたくて
何か役に立てたら嬉しくて
ともに悲しんだり
そういうことがしたくて

そういうことを書きたい
書き続けていたい
ただ存在していることを残したい

そんなことなんだろうな


# by shikoponkkr | 2022-06-26 21:34 | 思うこと

昨年末から今年これまでの出来事が、驚きの連続。
なぜ今なんだろう?

大好きな美容師の彼に美容師を辞めると告白された。
それを聞いた時の衝撃。
そしてこの学びは終わったんだと気づいた。
「私はもう大丈夫」
彼との学びについて、そういうことだ。
10数年のお付き合いが終わった。
「別れ」というより「旅立ち」「ステージアップ」
理由がわかっても、やはり落ち込むことに変わりはないことを知る。



2月の法事、親族でもめていた相続問題が突如解決した。



様々な事情で施設暮らしの両親。
その施設のケアマネから退職すると連絡があった。
苦労した施設探しで決め手となったケアマネ。

おばあちゃんになってもここで働きますよ!
安心してお任せください!

といっていたケアマネが施設を退職という衝撃。


昨年施設経営者が突然交代してから不信がわいた矢先。
結局ケアマネのいない施設では両親の命が危ないと思い、両親の転居先施設を急遽探すはめに。
これが尋常じゃなく大変。
めちゃくちゃ追い込まれた。
が、これまでのご縁で、様々に恵まれ、両親は無事転居が決まった。

ところがというか案の定、転居の調整が大変。
家族や新旧の施設、病院、ケアマネ、担当者、契約、費用、コロナ禍の手続きの煩雑さ。
転居前後の段取りと手配、寝具衣類日用品の見直しと買い物。
トラブルを防ぐためにというか、気持ちよく転居できるよう根回しと報連相。

新施設に転居する前から不安定だった母の体調は、完璧なケアにもかかわらず悪化。
母は転居して3週間で亡くなった。


父の代わりに家族親族をまとめるため調整役をしてきた私。
母の葬儀の仕切りは、これまた大変だった。
とはいえ、神がかり的に最適なサポート役が現れる。
おかげさまで完璧な葬儀ができた。
自画自賛(笑)

両親の葬儀も見据え、積み立てをしていた葬儀会社で素敵な担当者に恵まれた。
もはや奇跡。
葬儀では何を大切にし、どこにお金をかけ、どこを節約するのか、完璧なアドバイスで、費用は予算以下で収まる。
家族葬は出席者全員が満足のいくものになった。
有り難いことこの上ない。感謝。



その葬儀前後で今度は身内の問題が発生。
ずっと頑張り続けてきた私は、精神的に参り気味で、
今物事の状況判断がバランスよくできているのかどうか、
誰かの客観的俯瞰的アドバイスが欲しかった。
でも相談すること自体、私にとってとても勇気のいること。
物事をフラットに見て考えアドバイスできる人はほんとうに少ない。
相談者を間違うと自分を追い詰め危うい。

家族親族に対する責任を若いころから躾けられひとりで背負って頑張ってきた。
協力者はいたけれども、責任を負わない気楽さと私の荷の重さは対照的。

そういう私の深く複雑なニュアンスを潜在的に理解し、
あらゆる視点から物事を捉え固定概念に捕らわれることない最善策を、
明瞭端的に冷静かつ穏やかに伝えられる人物、それにぴったりハマる人物がいた。

まさかの奇跡。
自分を殺さないために、勇気を出して、その人にまず話を聞いてもらった。
有り難い、本当に。
責任の重さに押しつぶされそうだったが、一気に気持ちが回復した。
身内の問題に対して切り札を手に入れた。
もうそれだけで私はぐんぐん前に進めた。
いざというときの相談者を持つこと、相談する勇気の大切さを実感した。


そして母の四十九日が終わるころ、ご褒美的な自分を取り戻す休日を得た。
家族以外で家族のように大切にしている人たちと過ごす時間。
しかしその休日は、かなり前から決まっていたものだ。
こんなことがあるのだろうか?
それくらいその休日は充実して楽しいものになった。


ここ半年想定外に大切な人とそこに関わる多くの人たちとの別れと出会いが起こり驚くばかり。
今年後半は一体どうなるのだろうか?

# by shikoponkkr | 2022-06-20 15:41

ほんとうは幸せに生きたい

by まぼろし